|
「今日、英訳を通じて、初めて東洋の聖者、親鸞を知った。もし、10年前に、こんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったなら、私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界じゅうに広めることを、生きがいにしたであろう」
これは20世紀最大の哲学者の1人として名高いドイツのマルチン・ハイデッガーの言葉といわれます。『教行信証』は浄土真宗の根本聖典です。正式には『顕浄土真実教行証文類』といい、教巻、行巻、信巻、証巻、真仏土巻、化身土巻の6巻あります。聖人の教えのすべてはこの教行信証6巻におさまっているのです。
「親鸞の教行信証が私に与えた指導教化は、殆ど計り知られない程大きい」
「私は教行信証の宗教哲学を以て、西洋に匹儔を見出すこと困難なる如き深さをもつものと思惟せざるを得ないのである」
(哲学者 田辺元)
「『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である。それはその根柢に深く抒情を湛えた芸術作品でさえある。実に親鸞のどの著述に接しても我々を先ず打つものはその抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豊かな体験の深みから溢れ出たものにほかならない」
(三木清)
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
(教行信証 総序)
「難度海」とは、生きていく苦しみの人生を海に例えて言われたものです。
空と水しか見えない海で、押し寄せる苦しみの波に翻弄されながら、夫や妻、子供、金や財産、地位や名誉などの丸太ん棒や板切れ求めて、必死に泳いでいるのが私たちではないでしょうか。
何かを頼りにし、あて力にしなければ生きてはいけないからです。
しかし、風や波に悩まされたり、すがった丸太ん棒に裏切られ、潮水のんで苦しんでいる人、おぼれかかっている人、あるいは溺死した人もおびただしい数にのぼります。そんな人たちに、懸命に泳ぎ方のコーチをしているのが、政治、経済、科学、医学、芸術、文学、法律などでしょう。
ところが、
「どこに向かって泳ぐのか」
「なぜ、生きねばならないのか」
肝心な泳ぐ方角、人生の目的が明らかにされているでしょうか。何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ苦しくとも生きねばならないのか、だれも知りません。
行く先を知らずに泳いでいる人は、やがて力尽きておぼれるだけです。目的を知らずに生きている人は、死ぬために生きているようなものです。死を待つだけの人生は苦しむだけの一生に終わります。
私たちは決して苦しむために生まれてきたのではありません。生きているのでもありません。すべての人の願いは、苦しみ悩みから解放されて、いかにこの難度海を、明るく楽しく渡るかに尽きます。そんな私たちに、人生の目的を明示されたのが親鸞聖人であります。
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船がある。その船に乗り、未来永遠の
幸福に生きるためである」
答えは簡潔で鮮やかです。
難思の弘誓とは、大宇宙にまします諸仏の師匠である本師本仏の、阿弥陀如来の想像を絶するお約束のことです。親鸞聖人は29歳の時、阿弥陀如来の本願という大船に乗せていただいたとおっしゃっています。そのことは多くの人に知られている
「正信偈」の最初の2行に明らかです。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
(正信偈)
これは親鸞聖人が、ご自身のことを書かれたものです。
「親鸞は、無量寿如来に帰命いたしました。
親鸞は、不可思議光に南無いたしました」
と言われています。
「無量寿如来」も「不可思議光」も阿弥陀如来のことです。「南無」はインドの昔の言葉、「帰命」は昔の中国の言葉です。お釈迦様がインドで説かれた仏教は、中国に伝えられ、朝鮮半島から日本に渡りましたから、インドや中国の言葉で書かれています。意味は同じで、ともに「救われた」「助けられた」ということです。
ですから、この2行は、
「親鸞は、阿弥陀如来に救われたぞ、親鸞は、阿弥陀如来に助けられたぞ」と、同じことを2回繰り返されているのです。それは、何千回、何万回言っても言い足りない、書いても書いても書き足りない喜びを、2度繰り返すことで、表されているのです。
人生の目的を阿弥陀如来によって達成させていただいた親鸞聖人の鮮やかな告白のお言葉です。
人生に目的がある。だから早く達成せよ。これ以外に親鸞聖人90年のメッセージはありませんでした。だから、親鸞聖人の教えを、漢字4字で「平生業成」の教えといわれます。
「平生業成」とは、「平生」とは、死んだ後ではない、生きている現在ということです。
「業」とは、事業の業の字を書いて仏教では「ごう」と読みます。
親鸞聖人は人生の大事業のことを「業」と言われています。言い換えますと、人生の目的ということです。何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、苦しくともなぜ生きなければならないのか、ということです。すべての人にとって、これ以上大切なことはありません。
最後の「成」とは、完成する、達成するということです。
人生には、これ1つ果たさなければならない、という大事な目的がある、それは現在、完成できる。だから早く完成しなさいよ、と教えられたのが親鸞聖人ですから、聖人の教えを「平生業成」の教えというのです。
|