ホームこころネットワーク社会を支える善意

 

この社会全般を実質的に支えて続けているいるものは法律やシステム等ではなく、人々の善意なんだな、とつくづく思います。この善意は御仏の教えにも相通じるものが多々あり、それ故に何千年たっても色あせないのでしょう。

善意とは相手の存在を慈しむ心で受け入れ、相手の存在の未来をひたすら願って行動を起こすことではないでしょうか。言い換えると、悪意とは相手の存在を身勝手な理屈で受け入れず、相手の存在の未来にはあまり関心がない、という事になるのでしょうか。

悪意は陰に篭ってなかなか表に現れて来ませんが、善意は表に出よう出ようとする性質を持っています。様々な寄付やボランティア、利益追求よりもサポートに徹する団体企業など、この世には沢山の善意が満ち溢れています。よく性善説とか性悪説とかをテーマにした社会構造の分析が行われますが、そのような裏か表かのような単純なくくりで解説できるほど人間はシンプルな存在ではないようです。

通常、善意の行為は社会のシステムがカバーできていない部分を補う形で行われることが多いようですが、システムそのものがない部分を全面的にまかなっていることもあります。例えば、犬や猫の里親制度を推進するボランティアなどがそうです。飼えない理由で動物愛護センターに持ち込まれた犬猫、あるいは捕獲された犬を殺処分することしか行政はおこなっていません。(一部、里親制度の紹介などは行っていますが)そこには犬猫を救うシステム自体、存在しないのです。

また、システムの補完だけに限らず、人々の善意は通常の社会生活をスムーズかつ快適に営むうえでも大きな役割を発揮しています。憲法の前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、・・・」という文言があります。この崇高な理想が善意のことであり、憲法改正時にはぜひ変えたらいいと思います。

タイトル「社会を支える善意」は善意なきところに快適な社会はありえないという意味です。社会生活が営まれるあらゆる部分が善意で形作られるようになれば、世の中の不条理と非効率の問題の90%は解消できるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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