ホームこころネットワーク信賞必罰(責任のとりかた)

 

現代の日本において総じて感じることは、「信賞必罰」と「公のこころ」の疲弊化です。いずれも社会の根幹をなす要素です。当事者が自分の感じるままに信賞必罰を行ったり、自分の感じるままに「公のこころ」を歪曲化してみたりと、人間の知恵が永い時間積み重ねで出来てきたルールを省みない言動が目立ちます。

人間の五欲・煩悩が生み出す地獄絵図を戒めるために「公のこころ」があり、「公のこころ」とは「御仏のこころ」にも相通じるものがあります。人間の五欲・煩悩は数千年来このかた、衰えることを知らず面々といき続けています。「公のこころ」のたがが緩み始めると、一気に応仁の乱時代の地獄絵図にまで逆行することもありうるかも知れません。

それほどまでに大事な「公のこころ」ですが、この「公のこころ」で行わなければならない信賞必罰があらゆる分野で揺らいで来ています。政治家や公務員、企業経営者の一部に特に顕著ですが、どのような環境におかれても絶対に守らなければならない「公のこころ」が欠如しているために、他に学習することすらもできず、同じような過ちを面々と繰り返しています。

傍目からみていると、何と割の合わないことをやっている愚鈍な連中だろうと、誰しも思っているでしょう。しかし、これは社会の正常な新陳代謝なのかも知れません。自らに信賞必罰を「公のこころ」で課せられない人間には、「公のこころ」をもつ社会が信賞必罰を課すという極めて正常なシステムが少しずつ構築されようとしています。

このことは今後の日本のあらゆる分野を大きく進化させる原動力となっていくでしょう。

 

 

 

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