ホームこころネットワーク公とは

 

最近の社会状況をみると、公のことが随分なおざりにされている感があります。年金問題にしても、政治とお金の問題にしても、癒着談合の問題にしても、公という言葉がどこからも顔を出さない状況です。公私混同という言葉は、あまりよろしくないイメージとして使われることが多いのですが、ここまでいくと公私混同ではなく、公にたかるハイエナのような印象です。

欧米でいうパブリックと日本の公とでは、歴史的な背景からいっても多少ニュアンスは違うかもしれませんがもともと、日本の公は、天皇の御心を代行することから始まったように聞いています。ある時期は武士がそれにあたったり、現代は役人組織がそれにあたっている訳ですが、天皇が象徴性となり、役人は法律の実行者としての認識しかないものですから、いつの間にかファーストフードではありませんが、マニュアル通りの事しか実行できないところまで退化していったようです。

このような状況ですから、上記のような問題がいくら起こっても、ある意味何の違和感もないのかも知れません。この度の、5000万件の消えた年金問題は、かなり度を起こしていますが、これから新たな火種が発覚しても根っこを辿れば、公から「こころ」がなくなってしまった一点にあり、ある意味、公の制度、国の根幹にかかわる制度を改めて考え直さねばならないとも思われます。

それが憲法改正なのかどうかは分かりませんが、小手先の傷を消毒するだけでは、もはや対処は無理でしょう。民主主義の限界にもかかわることですので、一部の政治家のおもいつきで解決を進めるのではなく、それこそ、国民投票で、これからの「公」のあり方を選別してもらったらいかがでしょうか。 

 

 

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