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この人間界は修行の場であると、ある著名な方がいっておられます。生まれてから死亡するまでの間には喜怒哀楽さまざまありますが、赤ちゃんが生まれてくるときに「オギャー、オギャー」と泣くのは、人間界に生まれるのがいやだいやだと、駄々をこねて発する声だそうです。
六道輪廻の観点から考えますと、できれば天上界に生を受けたいのはやまやまですが、こころの浄化がすんでいない魂は、人間界に再度生まれ出ることで、再度チャンスが与えられるという事でしょう。しかし、この人間界は善と悪が交差する修行の場としては最適なのかも知れませんが、ただ何となく生きていくには、難しいところだと痛感いたします。
特別なことをやる訳でもなく普通に生活していても、さまざまなトラブルや難しい判断を求められることがあります。その都度、人に相談したり、過去の経験に照らし合わせて、どうするかを決めることが多いと思いますが、自分なりの信念をいくつか持っていれば、そのような時にも、それなりに的確な判断ができるものです。
人は進化する動物ですから、一旦ある信念をもっても、時間とともに変化していきます。変化がないようでしたら進化していないという証左にもなります。「朝令暮改」はあるとき、いい加減さの象徴のように言われることもありますが、御仏のこころに比べれば、一旦持った信念など、まだまだ足りない部分がほとんどで、これで足りると考えて、信念を進化させないほうが、より動物的な感性となります。
その信念をいざ実行に移すとなると、人からみて個性的であればあるほど、思わぬ障害が出てきます。そのとき、必要なのが集中力です。人の理解を得られなくても必ずやり遂げるという集中力です。物事には、人の理解を得ながら柔軟に進めていくという方法ももちろんあります。そちらのほうが結果を得やすい一面ももっていますが、ここぞという時には、自分の信念に照らし合わせて決断しなければなりません。
私たちは、どんなに注意していても、言い訳の誘惑からなかなか逃れることができません。
こころして、御仏のこころに叶うような信念を追い求める必要があるのではないでしょうか。
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