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オリジナルな商品やオリジナルなシステムをつくればというお話ではありません。オリジナルな人生をつくりませんか、というお話です。赤ちゃんもそうですが、人は最初模倣から入っていきます。これはこれで理にかなったことで間違いでもありません。作家三島由紀夫も最初は森鴎外の文章を参考したところから入っていったと後に答えています。画家の多くもそうです。積み重ねていくことは、模倣ではなく一種歴史の継承でもあります。
人文科学、社会科学、社会工学の世界では、積み重ねがその発展性を実現するカギであることが多く、一部、ガリレオのようにそれまでの常識を覆して、新しい事実をつかむこともありますが、99%は積み重ねの産物であるように思います。
しかし、人間の人生には、本質的に積み重ねがありません。先達から学んで自分のものとするケースはありますが、数十億の人間がいれば数十億の生き方があり、しかも人間の寿命の時間をそれに加味すると積み重ねることすらかなり不可能になってきます。
歴史を知ることで積み重ねをある意味ヴァーチャル体験することもできますが、なかなか実生活にそれを生かすのは難しく、知識の一部となってしまいこんでしまわれるのが実情でしょう。ここにこそ、御仏の与えられた役割といいますか、人間界での目的があるようにも思われます。
「すべからく、人間も動物も、ゼロから始めよ。肉体的に限られた時間のなかで、何を取捨選択して己の肉とするかは、それぞれが決めることであり、私はそれをじっと見守るだけである」と。人と違う人生や考え方をもつことがオリジナルではないでしょう。それではこれまでの幾多の殺人鬼もオリジナルな人生を送ったことになります。人と違う人生ではなく、自分とは違う人生を送れるかだと思います。
生まれながらにして、品行方正、善にして悪を知らず、というような人はあまり見かけません。ほとんどが、煩悩のかたまりであり、自分の生き方に思い悩む人たちばかりです。しかし、煩悩に従って生きていくわけにもいかない。自分なりの道筋を見つけて歩むよりしようがない。これが、オリジナルな人生を歩むことだと思います。ただ、自分の煩悩が欲するように生きるのではなく自分でそれを律して、自分の人生のシナリオを描くところに、人間にだけに与えられた表現力があるとおもいませんか。
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