ホームこころネットワーク同行二人(どうぎょうににん)

 

同行二人とは、四国八十八箇所の霊場めぐりのお遍路さんたちにはいつでも空海(弘法大師)がついて一緒に歩いてくれている。目に見えなくてもそう思う人のそばに必ずいてくれている‥そういう意味だそうです。その深い意味まではわかりませんが、現代社会におきかえてみると、こころにいつも御仏の灯明をともすようにということになるのでしょうか。

人間のこころを、はたからは見ることは、なかなか困難なことです。どんなに近しい親しい人でも、あるいは家族でもこころをのぞき見ることは至難の技です。それくらい、人間のこころはある意味複雑怪奇であり、精神科学者が法則にするほどシンプルではないと思います。

自分で自分のこころが分からない、犯罪を犯した人がたまに口にする言葉です。裁判になると、やれ精神鑑定だと法律上のルールで、人間のこころを解明しようとしますが、それもはなはだナンセンスのような気もします。

それは性善説とか性悪説とか百かゼロかの丁半ではなく、人間にもともと混在している善と悪の複合体がなせる行為なのかも知れません。ライオンがウサギを襲ったとして、ライオンを殺人罪に問えるものでしょうか?人間は、科学や知識の面では、有史以来、格段の進歩を遂げてきましたが、こころの面では2000年前と比べてあまり進化していないのではないでしょうか。

相変わらず、世界に戦禍はたえず、他者の利益よりも自分の利益を最優先する行動形態は、相変わらずめんめんと続いています。私たち一人一人の力は微力なものではありますが、御仏のこころを拝してそれに立ち向かうならば、人間界の宿命として、いずれ突破口ができるものと信じています。
多分、それは10年100年の単位ではなく、もっと長い単位だとは思いますが。

 

 

 

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