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常に新聞やテレビをにぎわせている活字です。誰の造語かは知りませんが、字面だけ見ると、社会が高齢化するような印象です。高齢化するのは社会ではなく、人間だと思うのですが。社会は、どちかといえば資本主義の面でも自由主義の面でも成熟期に入ってきて、停滞と腐敗が進みつつあるように思えます。
高齢化社会のイメージはどちらかといえば、マイナス的な要素があり、必ずしも歓迎されていないような使われ方をされています。年金の問題だけ見ても、これからの若い人の経済的負担は大変なものがあるとか税収が大幅に減っていくとか、高齢者のために創設された介護保険は一部の権益者の懐に入ってしまっているとか、宇宙の真理である「生成発展」を逆回転させるような扱いが横行しているのが、実状です。
「人間だれしも年をとるわけだから、年寄りの立場にたって大事にしなければいけない、大事にしないと自分が年寄りになったときに同じような扱いを受けますよ。」高齢者の方が言われます。
今もあるでしょうが、昔も道徳の時間があって、偉い人の伝記や儒教的な教えを学んで、立派な人間にならなければいけないと教えられました。その時代は、そのような話にあまり抵抗することなく、何となく得心していたように思います。品行方正は、まだ敬意の対象として残っていたようです。
綾小路君麻呂ではありませんが、「あれから四十年、時代は変わりました。」団塊の世代も、これから数百万人単位で一斉に高齢人間の仲間入りをしていきます。齢を重ねるとは、一体どのようなことなのでしょうか。年をとるとは、一体何をとるのでしょうか。一般的な平均寿命に近づき、残された時間がだんだん少なくなってくるという事でしょうか。
仏教には、「六道輪廻」という教えがあります。下は地獄界、上は天上界のなかに、六つの界があり、その間を流転するという考え方です。天上界のさらに上にあるのが、極楽浄土です。御仏はここにいらっしゃいます。人間界はは、六つの界のひとつで、人は死後、六道を流転するもの、極楽浄土に迎えられるものと分かれていくそうです。
死後の世界など存在しないと思われる方は、死がゴールであり、存在すると思われる方は、死はひとつの通過点であり、また大事な通過点であると思われるでしょう。国家が社会運営のシステムの観点から高齢化を考えるのは、ある意味やむをえない面もありますが、個々人にとっては、自分の人間界での生活の総仕上げという観点から生活に望めば、今まで出来得なかったことや、考え得なかった事が意外と実現してくるかも知れません。
高齢化社会は、人間社会を大きく変容させる起爆剤になると思いませんか。
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