ホームこころネットワーク必要のない人間はいない

 

「この世に存在するもので、無駄なものは一切なく、必要のない人間もいない」とよく言われます。こんな人間が何のために必要なのかといぶかることもあるのも事実で、こんな人間はいなければ世の中はもっと平穏で、快適だったのに、と思うこともあるのも現実です。

連続殺人鬼、子供を殺す親、親を殺す子供、狂信宗教の教祖、金のためなら人の命を露ほどにも思わない冷血鬼などなど、その生まれてきた理由を御仏に聞きたくなることだらけです。それでも、必要のない人間は一人たりともこの世にはいないのでしょうか? 

人間は悪人が一人たりともいない世界を望みます。世の中に悪人がいる必要がないからです。悪人がゼロではさびしいから、多少は悪人がいたほうがいいと思う人は、ほとんどいない筈です。にもかかわらず、御仏は善人も悪人も同じ人間界に同居させられた、その真意はどこにあるのでしょうか?悪人の所業を見て、そのようにならないように思い知らしめるためでしょうか。または、人間の本質は悪人だから(性悪説)、悪人の世界がいかに凄惨で、希望もなにもない事を悪人である人間に諭されるためにでしょうか。

もしくは、悪人がいない世界は極楽浄土にこそあれ、人間界にはありえないことを諭されているのでしょうか。人間は、「万物の霊長と」と自負するほど、人間界よりも上のものはありえないと一面で豪語する性癖をもっています。仏壇のまえで手を合わせている人でも、聞くと先祖に手を合わせているのであって、御仏に手をあわせているのではないと、平気で言う人もいます。

「必要のない人間はいない」を真に理解するには、まだ大いに力不足ですが、「六道輪廻」の観点から考えると、善と悪が混在するものとして、人間界をおつくりになったのかな、とも思います。存在しえるものは、きわめて合理的といいますか、合目的性のあるものしかないという事でしょうか。

 

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