ホームこころネットワーク競争してこそ伸びる

 

自由主義と共産主義の優劣の勝敗は、既に決したといわれます。世界のパワーバランスをみても、それは歴然で、共産主義の国家は大幅にへり、一部に残っているだけです。自由主義社会は競争社会であり、共産主義社会は配分を国家が担う制度です。また、私有の財産を認めるか認めないかも違うところです。人間がもつ本質を考えると、どちらがよりよい制度かは、自ずと明らかですが、完璧なベストはないように、競争にも表の顔と裏の顔があるようです。

タイトルの「競争してこそ伸びる」は、自由主義社会での人間同士の競争をさすものではありません。自由主義社会では、あらゆる面で数字を指標とした順位がつけられてしまいます。お金をいくら持っているかいくら稼いでいるか、会社での役職は何か、持ち家か、賃貸か、持ち家ならば、どの地域にどの程度の敷地をもっているか、などなどです。受験の競争もそうですし、人との比較が付きまとってしまいます。

もちろん、そのような事が発奮材料となって、より努力をすることはいい事だとは思いますが、将来的にはいずれ、その空しさを味わうことになるでしょう。競争が、世の中を前進させ、不可能であったことが実用化されたり、人や動物の寿命がのびたりといい事もたくさんあります。人にこのような競争をさせる原因は、人のもつ欲の達成に起因していようです。「欲には限りがない、どこかで妥協しなければ」と処世訓では教えますが、発明、発見をする人は、一切妥協しないで欲を突き詰めることができた人でしょう。

通常、競争は自分のためにやることを指します。人は欲を満足させるためには、ある意味どんな事でもできてしまうこころを持っています。いわゆる煩悩ということでしょうか。この煩悩は際限がなく、無限大に膨らんでいくものです。達成すれば次の満足とさらに進み、「事足りる」という境地になかなかたどりつけません。

自分を高める方法は、いわゆる競争だけではなく、他者のためにこころを砕くところにもあります。御仏は、煩悩から逃れられない人間に向って、「煩悩を捨てなさい」とはおっしゃていないと思います。煩悩あるがゆえの人間界ですから、せめて他者を思いやるこころを精進させるように祈っておられると思います。直せない欠点にとりつかれたように苦しむよりは、何か自分にはいいところがないだろうかと自問自答していけば、必ず道は用意されていると思います。

 

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