ホームこころネットワーク時間と人間のかかわり

 

現在も使われている1日は24時間という時の刻み方は、遠く紀元前1300年以前頃にエジプトですでに使われていたそうです。また、私たちが日ごろ使っている時計は、地球の自転をモデルとしているそうです。時間という観念は、宇宙の壮大なシステムの中で構築されてきたものであり、時間との係わり合いなしに生きてはいけない人間もまた、宇宙のルールに則った生物なのでしょう。

私たちは、時間という空間を意識して初めて、日常の生活を滞ることなく送ることができます。
何時になったらこうしようとか、何時に人と待ち合わせをしている等、他人と同じ時間を共有することで物事がスムーズに進みます。瞬間としての時間はそうですが、年齢などの積み重なっていく時間は、かなり違った意味合いをもっています。

未開発の部族などには、自分の年齢が分からない人も多いそうです。しかし、日常の生活には何ら支障をきたさないで、悠然と生きています。どちらが幸福なのかはわかりませんが、時間を意識しない生き方も何か大きなものに内包されているようで、心地よいものなのかも知れません。

宇宙が存在する限りは、時間も永遠に時を刻みつづけるのでしょう。私たちの命はどこから来てどこへ行くのか生物学的には解明できても、根本的な部分は誰も証明できない中で、曖昧模糊としています。「宇宙のシステムは常に合理的である」ことを大前提に考えてみると、曖昧模糊とした部分も、何となくそういう事ではないのかとイメージが開けてくるのではないでしょうか。

仏教の考え方や教えは、独善的な押し付けではなく、万人に理解できるような合理性を富んでいます。不条理の世界ではなく、ある意味、科学的な思考様式をも兼ね備えています。難題である「時間のこと」に、たまにはこころをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

 

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