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「阿弥陀」はサンスクリットの「アミターユス(amitaayus)」=「無限の寿命をもつもの」、アミターバ(amitaabha)」=「無限の光をもつもの」音写したもの。意訳して、無量寿仏/無量光仏とも呼ばれ、無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。西方にある極楽浄土という仏国土を持つ。
造形化された時は定印・説法印・施無畏印・与願印を組み合わせた九品来迎印を結ぶ。阿弥陀三尊として祀られるときは、脇侍に観音菩薩・勢至菩薩を持つ。密教においては、五仏(五智如来)の一如来として尊崇される。

無量寿経によると、一切の衆生救済の為に自ら仏の位を降りて菩薩となられ、世自在王仏の元で法蔵と名乗り修行をした。非常に長期間衆生の救済の思索をめぐらし(五劫思惟(ごこうしゆい))、浄土への往生の手立てを見出したことにより仏となった報身仏。衆生救済に関して48の願い(四十八願)を立て、特に浄土教において第十八願を「本願」と呼んで重要視する。

また、現在も説法をしていると説かれている。阿弥陀経の中には、大宇宙のガンジス河の砂の数ほどの諸仏から賞賛されている。なぜ、賞賛されているのかと言うと、阿弥陀仏のお力はずば抜けて素晴らしく、我々罪悪の重い衆生の救済に対して、他の諸仏が背相を見せたにも関わらず、阿弥陀仏お一人が本願を立てられて一切衆生の救済をお約束されたからである。一切の諸仏も最後には、阿弥陀仏に依らなければ、仏の悟りを開く事は出来なかったとされている。

これを語源とする他力本願と云う言葉は、本来の宗教的な意味合いを離れて、「ムシのいい、他人への依存」「無責任」という意味でも広く用いられるが、本来は他力とは阿弥陀仏のお力のみを他力と言い、阿弥陀仏のお力以外のすべての力を自力と言う。つまり、仏である釈迦の力も自力と言う。浄土真宗においては、煩悩具足の凡夫は阿弥陀仏の本願、すなわち他力本願によって「のみ」往生を遂げることができるとし(絶対他力)、自力は否定されるが、この場合でも「他人依存」「無責任」は、言うまでもなく他力本願とは相容れない概念である。

大乗仏教で登場した仏尊であり、その起源はゾロアスター教に遡り、光明の最高神アフラ・マズダーが無量光如来、無限時間の神ズルワーンが無量寿如来として仏教化されたとする学説もある。また西方極楽浄土は、ゾロアスター教の起源であるペルシャ地方、もしくは肥沃で繁栄した古代バビロニア地方が背景になっていると考える少数派の意見もある。

阿弥陀は無量光、無量寿と訳します。この如来は大きく分けて三つのお姿があります。説法・禅定・来迎です。その中有名なのは来迎の阿弥陀で、親指と人指し指で輪を作り、右手を胸の高さに、左手を下に垂らしています。信心するものの臨終に際して、西方極楽浄土より、お迎えに来て下さるお姿です。これに観音・勢至がついて阿弥陀三尊としておまつりされることもあります。お経によりますと、その信心の度合い、生活の内容により、非常に充実している人は大勢の菩薩達を引き連れてお迎えに来て下さり、速やかに極楽往生できるが、信心の薄いものは、魂をのせる蓮台だけが飛んできて、往生にも時間がかかると書かれています。  

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